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2011年7月

2011年7月 5日 (火)

マクロビオティック、粗食、素食、精進料理

私の今のマイブームは「食」についてです。2週間の自給自足生活で変わったことの一つがこの食べ物に関してです。肉、魚、卵、牛乳は摂らず、砂糖もなるべく使わないように心掛けた料理なのにとっても美味しいのです。今までは料理は嫌いで、一人分を作るのは面倒だな・・・と思いながらやっていたところがありました。それがこの2週間、多いときには10人分の食事を作ることもあり、食べた時にみんなが「美味しい」と言いながら笑顔で食べてくれる経験をすることでお料理がとても楽しいと思うようになりました。しかも、食が私達の体を作ってくれるので、健康について興味のある私にとっては面白く、奥の深いテーマであるとも思いました。また、調味料を最初から作ったり、無い物でも色んな食材を混ぜ合わせることで頭で想像している味にするという工夫やアイディアが楽しいと感じることで、料理に対する「こうでなければならない」という堅苦しい思い込みがポンッと解き放たれた感じがしました。そのお陰で、家にある食材を見て、すぐに色んなアイディアが浮かんできて楽しく手軽に料理を作ることができるようになりました。しかも、肉や魚を使わないので洗い物もとっても楽ちん。水で洗うだけでいいものが大半なので、洗剤を使わずに地球にも優しいのです。
一度ブームが起こるととことん知りたくなる私は、マクロビや粗食の本を毎日読みふけっています。毎月平均15冊の読書だったのに、今月は50冊に。また本が家に増えちゃったな・・・と思いつつ、毎日楽しい読書の時間を満喫しています。ちなみに今おすすめの本は幕内秀夫さんの本です。粗食についての概要の本も出ていますし、季節ごとのレシピ集も出ています。幕内さんの本は10冊程読んで、実際作ってみたりもしました。どれも簡単に美味しくできます。それからお菓子の本では中島デコさんの「パンとおやつ」、山本路子さんの「おだんごカフェのからだにやさしいスィーツレシピ」が美味しくて可愛いのでオススメです。見ているだけでもハッピーな気分になれると思います。

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2011年7月 3日 (日)

自給自足生活をしてきました

6月16日から30日までの2週間、ニセコの羊蹄山の麓にある共同体(WOOFの受け入れもしています)「自給自足生活研究所 」で生活してきました。電気は太陽光のみで、水は飲み水は湧き水、その他の水はすぐ横を流れている川を使わせてもらいます。1日の中の活動としては畑仕事やご飯作りをさせてもらえる他に、毎朝ヨガと瞑想もさせてもらえる上に、週末にはヨガ合宿といって1日ヨガと瞑想と呼吸法を学べる合宿にも参加させてもらうことができます。私はこの2週間で自然農の知識と実践、豆腐作りや草木染め、まき割り、火の熾し方、薬草について、マクロビオティックや精進料理のような肉・魚・卵・牛乳を使わない料理についてなど、毎日沢山のことを学んだりアイディアを出し合ったり、色んな人達の知識や知恵を授けてもらうことができて、本当に素晴らしい経験をさせてもらうことができました。感謝と感動でいっぱいです。

私はヨガや瞑想に興味があったのですが、未だにヨガを1回経験したことがあるだけだったので、毎日やらせてもらうことができて心も体も浄化されました。ヨガや瞑想ができるとは知らないままに行ったのですが、実践してみると、これからも続けようと思うくらいに私には効果がありました。私はもともと身体よりも精神世界に興味がある人間なので、体を激しく動かしたり鍛えるためのヨガのポーズをするというよりは、自分の内面を見つめる作業の方が好きなのですが、ここで教えてもらったハタヨガは、内面に意識を向けるヨガのため、私にはぴったりでした。瞑想も、今までは雑念がいっぱいで何をどうしたら瞑想になるのかがわからなくて、でも質問をする人もいないという状況だったので特にやっていませんでした。瞑想ってよくわからないな~と思いながら続けていたところ、瞑想を始めて3日目に、ひどく具合が悪くなり、体はダルイし涙はボロボロ出るしで、その日は1日中何もすることができませんでした。その時の心の中の状況としては、暗くて大きな穴、ブラックホールみたいなものが意識の中の私の目の前にあって、意識の中の私がそれに触れてしまったら暗闇に引きずりこまれて二度と戻ってこれないような恐ろしく悲しい感覚がありました。意識の中のこととはいえ、そのブラックホールを見ているだけで涙がこぼれてくるのです。どうしたらよいのかわからず、ただその状況を観察していると、そのブラックホールの正体は「孤独」であるということがわかりました。思い返せば、5年ほど前の私にとって、孤独というブラックホールは今よりもずっとずっと大きな存在でした。普通に生活している時でも孤独は付きまとい、もう生きていくのは無理なんじゃないかと思ったりしたこともありました。一緒に居る人がいなくて寂しいとか、そういう寂しさではなく、宇宙から切り離され見捨てられたような絶望的な孤独。もう超えられない、何度もそう思いました。その孤独感が今回瞑想をしているうちに潜在的な意識から再び呼び起こされたのだと思います。2日ほどそのブラックホールを抱えたまま生活していると、意外にも早く、「ブラックホールに触れてみよう」という勇気が湧いてきたのです。暗闇の向こうには光が必ずあるとこの5年間で学んだおかげでもあります。瞑想をしながら、意識の中で暗闇の向こうに手を伸ばすと、黒い霧が晴れていき、その先にあったもの(いたの)は「私自身」でした。やっと見つけてくれたね、やっと繋がってくれたのね、というような笑顔で私を見つめ返していました。その自分を見た瞬間、一つになれたという温かくて安心する、愛に包まれた感覚を体験しました。それと共に、「私はここにいる(在る)」という力強い感覚と、これから歩んでいく道のビジョンを真っ直ぐに見つめる揺らぐことのない自信を授かりました。そのような体験をしてから、少しずつ瞑想の意味がわかってきました。ただボーっとしていると、人間は絶えず思考をして色んなところに意識が飛んでしまいます。その度に意識を戻すことをするのですが、戻す際に「違うところに意識が飛んでいってしまっている」と気付いているのは一体誰なのでしょう?その「誰か」が真我なのではないかと私は思うのです。真我が思考を客観的に観察しコントロールすることで、感情も自分のコントロール下に置くことが可能となり、常に真我(私)が主役として生きることができるようになる。それがこの2週間瞑想したことで実際にわかったことでした。瞑想でその感覚が少しずつわかってくると、ヨガの仕方も変わっていきました。ヨガはゆったりとやってもやっぱり体の伸ばしている部分は痛いものです。でも、痛みを不快だと感じるのではなく、むしろ痛さをも客観的に観察して痛いということを意識することすらなく「こういう状況なんだ」とただその体の状態を受け入れるという感覚がわかってきたのです。でも、常にそういう状態ではいられなくて「いたたたた・・・」とすぐに意識がどこかにいくわけなのですが、きっと悟りというのはこの延長線上にあるのだな、ということを実感することができました。
精神面も身体面も結局一緒で、一つ。万物は一つ。そしてその状態には評価するという概念はなく、ただ在るだけ。そこに良いも悪いもなく、あるがままに受け入れる。それが平和を創造する。特別になろうとか、競争に勝とうとか、何かができるとか、人を蔑んだり批判したりとか、そういうことに捉われて生きるよりも、私は愛と平和を選んで生きていきたい。ただ今に生きていることが幸福だと実感していたい。もし何かお役目があるのなら、そのように私を導いてくれればいいし、日々の小さな幸せに気付きながら喜びに溢れて生きるのが私の魂、そして宇宙の願いなら、私はそう生きよう。全てを手放してこの世界を見れるようになった時、真我で私は世界を見ている。

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