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2011年2月

2011年2月25日 (金)

初めてのヨガ

一昨日、初めてヨガを体験しました。最近、自分の内側の声を聞くということがテーマなので、以前からしてみようと思っていた瞑想かヨガを・・・と思っていたところ、素敵な感じのところを紹介してもらったので行ってみたというわけなんです。ヨガでも、ポーズや体を動かすということに重点を置いているものに興味があるのではなく、静かに、自分の呼吸に集中して自分と向き合い、自分の宇宙を感じることに私は興味があります。

最初、軽い話題をしてから心と体をほぐし、それから2時間程のヨガの後、最後に10分位の瞑想で終了です。愛のマントラの曲が流れていて、部屋はプラネタリウムで星がいっぱい。そんな素敵な空間で初めてのヨガを経験できました。

2時間あまり、ずっと呼吸に集中です。初めての私はあれこれと違うことを考えて意識がどこかへいくことだってよくありました。それでも、驚く程の変化がすぐにわかりました。まず、話し方が変わります。話すペースがゆったりになり、声に力があります。それから、私の場合は地に足が着いていない方なのでヨガの後には地球にしっかりと根付いている感覚がありました。意識が上をフラフラしている状態からどっしりと下りてきている感じで、物事に動じないといった安定した感覚がありました。また、頭がすっきりするので、自分の考えが明確になり、普段ならば悩んでようやく決めることでもスパッと「こうだ」と直感と自信を持って平常心で導くことができました。

こうしたヨガや瞑想を、空気の澄み切った森の中で出来たなら、どんなに素晴らしいだろう・・・そんなことを想像しながら、今日も森の中の一軒家を夢見ている私です。

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2011年2月19日 (土)

使命を思い出す

最近読んだ本がとてもおもしろくて、一気に3冊読み終わってしまいました。その本は「アミ 小さな宇宙人」(著:エンリケ バリオス)です。その他にあと2冊あって、話しは続いています。文庫版もあります。この本は世界で11の国々で翻訳されているそうで(今現在ではもっと多くなっているかもしれません)、ずっと前からアマゾンで見ていて、読んでみたいなと思っていた本でした。ようやく時期がきたのか、急に読みたくなって本屋さんに駆け込みました。

物語はペドロと宇宙人アミが出会うところから始まります。アミは地球よりもレベルの高い星から来て、ペドロにたくさんの大事なことを教えて(思い出させて)いきます。宇宙の法則についても。ストーリーを通して楽しく、やさしく、人間の本当の姿について表現されていて、私のお気に入りの本に加わりました。お気に入りの本は「神との対話」「奇跡のコース」「星の王子様」「かもめのジョナサン」「サラとソロモン」と、ほとんどが精神世界の本ですが、どれもいまだに読み返します。

この本を読んだ後、私はとても幸せな気持ちになりました。最近はよくアセンションという言葉を精神世界では言われていますし、テレビでは2012年に世界は滅亡すると騒がれていたりします。地球は次の次元へ移行する時が近づいていて、その次元の上昇によって世界が生まれ変わるというものなのですが、私は世界がもっと幸せで愛に満ちたところになったらいいな、と思ってきました。アミを読んで、世界が愛に満たされるというのは夢物語ではなく、むしろそうしようと人類が思った瞬間にまさに今すぐにでも実現するのだと再確認するためのメッセージをもらえたように感じました。世界に対する希望がもっともっと輝きました。

そして、私の内側にも大きな変化がありました。私は今まで、何かをしたいとか何かをしなきゃとか、何のために生きているのかを考えてきました。そうしていつも焦って生きてきました。それから、小さい頃から「世界で活躍する」ということを言っていましたが、私は有名になりたいわけでもないし、何か特別な能力や技術があるわけでもありません。だから、世界で活躍といっても何をどうしたらよいのかわからなくて、おかしな話、小さい頃からのその確信によって一体自分はどう生きたらよいのかわからなくてもがき、いつも足りないと思って苦しんできたのです。いつもいつも何かに追われて生きてきました。でも、アミのこの本を読んで、私の使命についてより深く考えることができるようになったのです。何かをするのではなくて、楽しく幸せな姿で生きていることこそ私のすることなのだとようやく気づき認めることができるようになってきました。

そんな風な変化が起き始めた時に、私はある夢をみました。現実的なことを、私はよく夢の中で考える癖があって、今回も夢と現実の間をふわふわと彷徨っている時にみたものです。私は自分自身にききました。「私は何をしたい?今したいことは何?」「私のしたいことは・・・・・・・・・・・」あれ?おかしいな、本当に私のしたいことって何だろう?しいて言うならフラメンコかな。でも、それがなくなったからって嘆き悲しむこともないしな・・・何かしたいことがなかったら何もしないで終わってしまう人生になってしまうかもしれないから、それを恐れて私は今まで色々したいと思うことをやってきたのに。興味を内に向けて、本当にやりたいことにだけに集中させてこの人生を生きていこうと最近考え始めたからなのかな。どうしよう、何も思い浮かばないよ・・・・・・・・でも、私は生きている・・・・・・・・・・そんな夢でした。その夢を見てから未来のことを心配しても仕方なくて、今できることをしてあとは結果を待ち、将来がっかりするかもしれないからといって希望を抑え込んだり願いを小さくすることはやめて、あとはその時に思いっきり落ち込めばいいじゃんという考えを少しずつ日常生活でできるようになってきました。やっぱり、気づいても実際自分の生活の中で実践するのには時間がかかるな、と思いました。

なんだか、中身のあまりない記事になってしまいましたが、アミを読んだことによって、自分の使命について大切なことを思い出せた感じがあったのでどうしても書き残しておきたくなりました。

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2011年2月18日 (金)

思いのある場所

ここ毎日、とてもありがたいお言葉をいただいています。職場を変えることになり、そのことをいらっしゃる方々にお伝えすると「さびしくなるね~」「ここに来るのが楽しみだったんだよ」「ありがとうね」「たくさん話を聞いてくれて楽しかったよ」「元気になったよ」などなど、本当にたくさんのお言葉をいただいています。ありがとうございます。ほんの数ヶ月だったのに、こんなに温かくしていただいて、涙もろい私はつい泣きそうになってしまいます。

この数ヶ月もまた、濃かったな~と振り返ってみたり。最初はたくさんの人達と会う機会は何年振りでしょう、という感じだったのでどう接してどう話せばいいのかわからなくてモジモジしていましたし、他にも色んな問題もありました。そういう問題を解決しようとする度に、色んなことを学ばせてもらい、成長することができました。感謝する気持ちでいっぱいです。私はこの経験がなかったら、まだ気づけずにいたことが数多くありました。そして、たくさんの方々と会っても中庸の心で(おせっかいをし過ぎず、無関心にならずに)話すことが今の私には出来るということも確かめることができました。このような経験をさせてもらえたことはありがたいと感じます。

残りの期間も、この感謝を少しでもお返しできるように毎日を大切にしようと思います。

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2011年2月16日 (水)

黒ずくめの男

この前は私の中の龍のお話を書きました。私の「感情」というものを具現化したらきっと龍みたいなものだな、と思ったので書いてみました。

さて今回は「理性」の方について書いてみようと思います。私の中の「理性」を表現するならば、「黒ずくめの男」です。ずるい目をしていて、口はニヤリとした笑みを浮かべています。不気味。そんな表現が的確かもしれません。ずる賢いことを考え、巧妙で冷静な男。感情の龍と同じく、その男のスイッチが入ってしまったら彼の考え方からなかなか抜け出せなくなって、コントロールができないように感じてしまいます。そして、その男は大人しく寝ている龍を起こそうとすることもあります。そうすると理性で先のことをガンガン考えて、その一方で激しい感情をぶつけ始めます。男は計画的に事を運んでいきます。さも、楽しいと言わんばかりに。私の中の理性と感情の両極の負のコントロールが効かなくなった状態がこんな感じです。

しかし、龍と男にも恐れている者がいます。それは愛です。私の魂が愛を選択し、愛に基づいた行動をすることを恐れているのです。二者共に、愛は自分達を否定し滅ぼそうとしていると思い込んでいるのです。実際、私は龍のことも黒ずくめの男のことも嫌いでした。何をし始めるかわからないので恐れていたし、不気味だし私の中から消えてしまえばいいのに、と思っていました。そんな存在が私の中にいるから私は邪悪なんだとも思っていました。でも、それもやっぱり愛に基づいた考え方ではなく、恐れに基づいた考え方だとようやく気づき始めてきました。愛だったら、きっと否定するのではなく、受け入れると思うのです。そして受け入れられたことによって龍も男も生まれ変わるのではないかとも思うのです。龍は激しすぎる感情の炎を豊かな感受性に、黒ずくめの男は冷酷さを明晰さに。そしてまた、愛もそれを望んでいるのです。その者達の協力があったならどれだけ心強くなるかと希望を持っていつも見ているのです。

感情も理性も愛という大きな存在にいつも見守られていています。そういうと、イメージとしては愛が感情や理性をコントロールしているように思われるかもしれませんが、愛が絶対的優位な存在であるということではありません。というのも、感情も理性も本来は愛の一部です。ただ、愛から一度離れてしまったかのような考え方や行動を覚えたので、それを元の考え方に導くのに愛という見守る目(見守り役)が今は必要なだけで、あるところまでいくとごく自然に愛の選択ができるようになっていきます。愛の一部となるに留まらず、融合し愛自身となるのです。

こうしたことを愛に語りかけてもらったことで、私の中の龍と男は遠くにある(本当はすぐそばにいつもある)光に向かって歩いてみることを決心したのです。

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2011年2月 8日 (火)

勝ち負けも白黒もエゴの声

半年前、私はある修行をしていました。それは「ありがとう」と「ごめんなさい」と言う練習です。責められても、非がないと自分では思っても、おかしいと思っても、悔しくても、頼んだことではなくても、とにかく相手の言ったことや行動には感謝か謝罪をしました。

それまではたとえ口では謝っていても、心の中では「自分は悪くないのにどうして!」と怒りを持っていました。また、誰かに先回りされて感謝しろと言われても、自分が望んだ結果とは違っていたら感謝どころか「なんでそんなことをしてしまったんだ!」とやっぱり怒りを持っていました。その怒りはなぜ生まれるのかについても自分と向き合って考えました。それはちっぽけなプライドのためだったのです。ここで謝ったら自分の負けだとか、どっちが正しいのかをきっちり白黒つけて決める必要があって、正しいのは自分なのだと結論づけたい。というエゴが言い張り続けた小さな小さなプライド。それを捨てたからといって、私が私でなくなるわけではないのに、それまでの私には大事なことだったのです。でも、小さなプライドは愛に基づいてはいないと気づいてしまった以上、そのまま、そのプライドに従った考え方や行動をするわけにはもういきません。

それをやめて、相手が望んでいるのならば、そのたった一言を言うだけでその人の気が晴れるのなら、私が「ありがとう」と「ごめんなさい」を言えばいいじゃないかと思うことにしたのです。無理にでもそう言い続けることで、半年経った今、変化が徐々に現れていることに気がつきました。それぞれの人がそれぞれの考えで行動し、相手に何かを言っている。その人にとってはその言い分が正当なのです。そしてそれを正しいと言ってもらいたいと思っているし、でも言ったことや行動に対しては責任をとりたくないと思っている人たちがたくさんいるのがこの世の中であることも理解できました。だから、小さいことに関しては責任をとれといわれようと、罵られようと黙っておくことにしました。ただ、全てをそれで済ますこともできないということもこの半年間、練習をしてきてわかりました。なんでも「ありがとう」と「ごめんなさい」を言っておけば丸く収まるからいいんだで済ませてしまったらそれはまた相手のエゴを増幅させてしまうこともあるからです。その場合は自分にとってはどうでもよいと思っていることでも、わざと指摘することも必要です。どんなに未熟でも、愛から出た言葉や行動は必ず素晴らしいものを生み出します。この世界では失敗だと思われる結果に終わったとしても、その愛情は生き続け、そしていつの日か「その時はその時のレベルで精一杯の愛を持って行ったのだ」と言える時がやってくるのです。逆に、エゴに翻弄されてしたことは後々後悔か自己正当化という、自分を苦しめるものしか残らないのです。

どんな場合であっても、勝ち負けにも白黒をつけることにも重要性などありません。どうしたらより多くの愛をもたらし、より幸せで笑顔の人が増えるのか。今やれる範囲でそれを考え行動していくことが重要なのだと思います。

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2011年2月 4日 (金)

自分の中を見つめる。

私は最近、生きていることに絶望したり、独り、暗闇の中にいるイメージがなくなり、以前のような恐れがなくなりました。光の方へ歩み、愛のある考え方や行動を心がけられるように少しずつなってきています。

ところが最近、実は恐れがあることに再び気がついたのです。「それ」は普段は自分の中でスヤスヤと眠っています。でも、昔から「それ」は居て、私の心をたまに支配します。「それ」はまるで龍のようなのです。まさに、私はいつも「それ」を龍のイメージとして持っていました。いつもその龍は私の中に居たのに、居ないフリをして、いつも眠ってくれているようにとそっとしておいていました。なぜなら、その龍が目を覚ましてしまったら、誰にも止めることができない程に凶暴だと知っているからです。その龍はとても破壊的です。自分だけではなく、目の前のものを全て破壊し、世界を火の海にするまで暴れ続けてしまうのです。この龍は怒りの感情が自分の理性でコントロールできなくなるとムクムクと起き上がってきます。今までに、全てを焼き尽くすほど完全に龍が目覚めたことはありません。だからこそ、それが完全に目覚めてしまった時に一体私は何をしてしまうのだろうと恐れているのです。周りだけではなく、自分を焼き尽くすことも厭わないその龍が暴れてしまったら、理性など全て無視して行動し始めることが私にはわかるのです。ただ、そんな行動をしても誰も幸せにはならないし、何も解決しないということもわかっています。ただただ、自分で自分のことを制御出来なくて、何とかしてほしい、苦しいんだよ、と訴えているだけなのです。

私はこの龍が目覚めそうになった時、いつも思いだすお話があります。それは小さい頃に読んだ「たつのこたろう」のある一場面の挿絵です。湖にいる龍となってしまった母親が、子供を育てるために自分の目をおしゃぶり代わりに与えるというシーンです。小さい頃私は何度も何度もその本を読んでいました。今となっては話の内容など忘れてしまったけれど、なぜかそのイメージだけはずっと頭に焼き付いています。

本当はこの破壊的な龍は本来の姿なのではないのかもしれません。力で全てを支配しようとしているけれど、それができなくて、でも他にどうしたらよいのかわからないだけなのかもしれない。力ではなく、愛情で怒りを鎮め、眠っていてくれるようにと恐る恐る横を通り過ぎるのではなく、共に力強く人生を歩むこと。これは私の中の男性性と女性性の統合という面においても大切なことです。この龍も助けてほしいのです、愛情がほしいのです。それを与えてあげられるのは私の中の女神様だけです。愛情に満ちた穏やかな眼差しを持つ、気高い龍へと昇華させる第一歩を踏み出す時がきたのです。心の暴走は愛情によって鎮静化することができます。愛の目で見、愛となって行動することを心がけて今日も生きようと思います。

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