FAIRY

妖精さん、私はあなたがいるって信じてるよ。

大人になったってその思いはずっとずっと変わらない。

そんなのいやしないさって大人たちは言うけれど、それは忘れてしまっただけなんだ。

子供の頃には見えていたはずのものたちを。

会いたいと思ったらいつでも会えるのさ。

心の目で見ればいつでもね。

以前のブログもよろしくお願いします。

☆この「FAIRY]の記事は常にトップ記事にしてありますので、更新した記事はこの下から表示されます。

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2012年9月26日 (水)

身近な人から大切に。

人とのコミュニケーションについて最近考えています。近ければ近い人ほど甘えが出て、「わかってくれるだろう」とつい思ってしまいます。けれども、近い人だからこそよく話し、よく見て、心を配り、大切にすることが大事なんですよね。一番大事にしたいと思う人を一番に傷つけてしまう、それは本当にお互いにとって悲しいことです。悲しいけれど、必要なプロセスかもしれません。その段階を経て、その悲しみも素敵な出来事にできればそれは素晴らしい!という事柄に吸収されて一体化するのです。「どうしてわかってくれないんだろう?どうして、どうして・・・そう思ったら一人よがりにならずに、素直に「どうして?」と相手に聞いてみることも一つの方法です。私は以前、全然素直ではありませんでした。そしてわかってほしいという要求ばかりでした。素直じゃないのにわかってって・・・それは無理というものです。こんな風に、人間の考え方には「癖」があるので、その思い癖に気付いて、より素敵に、より生きやすくなるために、大切な人と深いコミュニケーションをとるというのは大事だな、と思います。

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2012年7月23日 (月)

心配は心配り

最近、本を読んでいて「心配り(こころくばり)」を「しんぱい”り”」とつい間違った瞬間(笑)、私は何故か妙に関心してしまいました。
心配するということは恐れから発生するものだとマイナスのイメージに私は捉えていたけれど、それは心配り(こころくばり)であり、心を配り過ぎてしまったらそれは心配事になるんだな、と気付かされたのです。プラスとマイナスは表裏一体。
「心配り、気配り」。それは自分に対しても誰かに対しても関心を向け、大切にすること。これは素晴らしいことです。
何事もバランスで成り立っているのですね。おもしろい。

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2012年7月 3日 (火)

夢を見つけて実現しよう❣

ここ2か月間続いていることがあります。

それが岡崎太郎さんの著書に書かれていた、行動したこと、思いついたこと、今日やること、気がついたことなどを随時紙に書きだしていくということ。

人間は忘れる生き物なので、「これ、やってみたい!」とひらめいたり感じたりしても、そのまま忘れて、せっかく興味を持ったものも忘却の彼方へ・・・ということが沢山あるのです。夢が見つからない、やりたいことが見つけられない、何をやりたいのかわからない。そんな思いを抱いているのならば、まずは書きだしてみることがとても効果的なのだと知りました。書きだしてみると、新しい自分に出会えたり、どういうことに自分が興味があるのかが明確になって頭の中が生理されて具体的な行動に移しやすくなります。やりたいことは本当は自分の中に沢山あるのです。でも、知らない間に抑制したり、忘れたりして見失ってしまっているだけなのです。それではもったいないと思いませんか?自分の望みや希望、夢に毎日毎分毎秒フォーカスしてあげて、充実した幸せな人生を創造していきましょう!

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2012年6月19日 (火)

私スタイルのリーダー論

私はもともとの性格が自由奔放で、自分がやりたい!と思ったらすぐに一人でどんどん行動していきたいタイプです。そういうところがあるせいか、人間関係が煩わしくなったり、不器用だったり、自分一人でやった方が速いと思ったり、つい独りよがりになったりすることがありました。けれども、全てを一人でやってもいいけれど、人間関係もスムーズで尚且つ一人でやることはやれる、というスマートでバランスのとれた女性って素敵だと思うのです。

リーダーの素質が元々ある方はやっぱりいらっしゃいます。私は元々その全く逆で、目立たないように、みんなの前では静かにしていよう、やりたいことは一人でやっていればいいし。という子だったので、リーダー的な人に対していつも太陽みたいに明るくてエネルギーに溢れていてキラキラしていていいな。と思っていました。
そんないつも陰でいようとしていた私が、人前に立ったりまとめ役になったりすることが徐々に増えていくにつれて、人の先頭に立つということや一つのものを多くの人と共に作り上げていくにはどうしたら良いのかということを考えざるを得なくなっていきました。考えては実行してみるの繰り返しで、私が築いたスタイルは、大きく前に出て引っ張っていくリーダーではなく、半歩もしくは平等に他の方々と関って作り上げていくというスタイルでした。
半歩前に出るというのは、話題を提示してだいたいまとめる、そしてやることを配分する。配分する時にはその人の素質を考慮しつつ、できれば少しだけ力量よりも高めに設定したものを配分するようにします。でも、上から物を言うのではなく、こんな感じにしたいと思うけれど何か良いアイデアはない?と問題提起をする形から始めます。みんなの顔を見てじっと待っていると、考えが浮かんだ時に微妙に表情に表れたりするものです。以前私は引っ込み思案だったので、たとえ何かアイデアが浮かんでも、自ら手を上げてみんなの前で発表するということはありませんでした。その経験から、もし手を挙げなくてもその微妙な表情でわかってくれて察してくれて、気に留めてくれたら・・・そんな風に思っていた自分もいたので、手を挙げてくれた人に先に発言してもらい、言いやすい環境作りを少しした後に、普段はあまり話さない静かな方に意見を聞いてみたりします。
出来るだけ多くの人に参加してもらい、自分もそれに携わったという感覚をもってもらう。その感覚がその方の自信になり次にはもう少し勇気を出してみようかなと思ってもらったり、一人一人の才能が更に伸びるようにあれこれと考えてみる。
そうして色々考えながら出たアイデアを形にするために配分したことは、相手を信頼して任せてしまいます。とりあえずやってもらう。そうしてフィードバックされてきたものを磨き上げて一つの形に仕上げていくのです。
私はこの「配分」に関して特に思うことがあります。それは、「やっていただく」というお願いと感謝の気持ちを大切にすることです。リーダーとは私が思うところ、自分のやりたいこと・形にしたいことを皆に手伝ってもらう立場の人なのだと思うのです。社会でいえば、社長などがその立場にあります。社員とは「雇ってあげている」、ではなく、自分の夢に賛同し共に実現を目指して応援をしてくれるありがたい方々なのだと私は思うのです。そういう方々に対しての感謝はもちろんのこと、それに賛同してくださった方々も共に人間として素敵な部分を開花させご自分の素晴らしさにどんどん気付いていくこと、それも賛同してくれたことへの恩返しになるのではないかと思います。リーダーとなった人こそ、相手の立場になって考えてみることが大切であり、謙虚さと感謝の気持ちを持ち続けることも大事な要素の一つなのではないかと今日はリーダーについて考えたので、ブログにアップしてみました。

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2012年6月14日 (木)

習い事

最近習い事を色々始めてみました。以前からフラメンコとお料理・パン・お菓子は習っていました。それにプラスして、自宅でお教室を開けるような趣味&技術を身に付けたいと思い、前からやってみたかったセラピー系のことも始めてみました。それがカラーセラピーです。カラーセラピーといってもいくつかあり、私はその中のオーラライトというカラーセラピーを習うことにしました。それから高校生の時に一時期ハマっていたトールペイントも再開しました。もう一つ、レカンフラワーというのも習っています。歌と楽器もいずれは始めようと思っていますが、今は1週間がほぼ埋まっている状態なので、もう少し余裕が出てきたら徐々に・・・と思っているところです。心理と自然そして芸術というテーマが主に私の興味があるところなので、そこをこれからもっと色んな角度から掘り下げていってみようと毎日楽しく過ごしています。温かくなってくれたおかげか、心理的な変化による自由さが増したおかげか、無理なくお仕事もやりたいことも出来ていて嬉しい限りです。それぞれの習い事に関して、少しずつでもまたブログにアップしていければいいな、と思っているところです。とりあえず、カラーセラピーはセラピストとして活動できるところまではいったので、次は自宅かどこかでサロン的な感じの素敵な空間で実際に活動していく拠点を決めようと思っています。これからどうなっていくか、楽しみな日々です。

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2012年5月30日 (水)

過去生療法(ヒプノセラピー)in札幌

去年の8月からブログの時間が止まったままでした・・・

さて。
先日、過去生療法を初めて受けてみました。誘導に従い、催眠に入り、自分の過去を思い出すことにより、自分を癒すというセラピーです。ブライアン・ワイス博士の本を読んだりもしていたので、どういったものなのかは本により知っていましたが、特にセラピーを自分で受けるまででも・・・それに催眠って何だかこわいし・・・と思っていたため今まで受けたことはありませんでした。それが、最近習い始めたカラーセラピーの先生がヒプノセラピーもされているということだったので、実のところあまり効果は期待せずに好奇心でやってみました。

誘導に従って催眠へ入っていきます・・・いくつかの鏡にいくつもの自分の過去生が見えてきます。瞑想や過去生のCDを聞いたり、私は夢で色々と見やすいおかげもあり(?)、はっきりとヴィジョンとして見えるというわけではありませんでしたが、何となく思い浮かんでくる映像や言葉がありました。地球ではない星の映像や戦場の場面、貧しかった時代、平安時代くらいの着物を着た女性、他にも沢山の鏡の前を通り、その中の一つの鏡に惹かれました。先生が言うに、惹かれるということが今の自分に必要な場面なのだそうで。その鏡の中へ入って行くイメージをします。

そこはローマ時代。私は本を片手に神殿の長く白い大理石の廊下を歩いている男性哲学者でした。着ているものは薄く白っぽい布。履物は大理石の冷たさが伝わってくるくらいのサンダルのようなもの。廊下の両端には子供や女性や老人など、色んな人が自由に話したり歩いたり本を読んだりしています。私はそこで真理についてもっともっと学び、そしてそれを伝え、世の中を安全で幸福にしていきたいと願っていました。家族も妻と子供2人(男の子と女の子)がいました。とても幸せな家庭で、奥さんはよく家事をしてくれる素敵な人でした。子供の一人である女の子は今の妹だということがわかりました。・・・・・そして、その時代の自分の最期を見に行きました。私は沢山の知識や知恵、真理を探究させてもらえたことに深く感謝した最期でした。ただ、一つだけ、とても後悔していることがありました。
神殿は丘の上にあり、その神殿に来る人は一部。本当は私はもっと門戸を広げ、沢山の人々に伝えたかった、沢山の大事なことを。お金よりも大切なことが世の中にはいっぱいあること、愛の大切さ、盗みではなく他の解決策・・・いっぱいいっぱいあったのに、本当に伝えなければならない丘の下にある町の人には伝えられなかった。もし私が神殿を飛び出して伝えていたなら、変化が起き、盗みや火事などは減りもっと人々が幸福に暮らせる町になっていたかもしれないのに。その後悔について考えると涙がボロボロと出てきて止まらなくなりました。そして、その町の中の住人の一人に今の父親がいることもわかりました。まだ少年の姿でした。そのことがわかると不思議と感謝の気持ちが湧いてきたのです。私は伝えられなかったと後悔を抱き続けていました。そんな私の後悔を解消してくれるために、今の父は今世で私に協力してくれたのだと、ふとそう思ったのです。父の他にも、今まで「なんでわかってくれないの!」と腹を立ててきた人に関しても感謝の気持ちが込み上げてきました。私の後悔の念を理解し、その解消役を引き受けてくれると言ってくれた人達だったのだと腑に落ちたのです。伝えたくて、伝えたくて、その思いが強すぎて伝わらないことに焦ったり悲しくなったり怒ったりしていたんだな、と思えたのです。

最後に、この過去生から学んだことを3つあげるようにと誘導されました。
 ①やり残したことで自分を責めるのではなく、やってきたことに光を当てる。
     →愛で今を生きる。
 ②学んだことを愛情を持って行動にしていく。
 ③考え過ぎるのではなく、素直にシンプルにしていく
     →ありのままを受け入れてハートで感じる。

毎日生きていると怒ることも悲しいこともあります。けれど、感情は今の自分に気付くきっかけとなるものです。ただ、きっかけなので、気付いたら執着せずに手放してあげなければそこで停滞してしまいます。その手放す方法には沢山あって、そのうちの一つがヒプノセラピーなのだと思います。どんな方法であっても、基本は愛情に基づいていることだと思います。他人に対しても自分に対しても、自然に対しても、全てに対して、です。これからも色んなことに出会って日々成長できることを感謝していける人間になりたいな、と思います。

今の目標:バランスよく。多面的に。

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2011年8月21日 (日)

今の全てに感謝

ニセコから帰ってきてから早くも1か月半が過ぎました。この1か月半の私の内面の変化をブログに書いておこうと思います。

ニセコでは「今に生きる」ということの大事さを改めて感じました。人間は意識せずにいるとつい感情に振り回されてしまいます。しかし、ある感情が湧き上がってきた時に「私は今どのように感じている?そしてそれを感じているのは誰?」と自分自身に問うてみることで、更に「それを問うているのは誰?」という問いに行き着きます。その問うている者こそが本当の自分(スピリット、魂)なのです。このスピリットを意識できるようになると、怒りや悲しみ、喜びなどの感情が激しく押し寄せてきたときでも矛盾しているようですが、穏やかな状態で居られるのです。「あぁ、私は今怒りを感じているよ、今とても悲しいよ、とっても幸せだよ」と、それらの感情たちが愛しくなってくるのです。それは痛みや喜びを共有しつつ、いつも温かく愛情深くそして冷静に我が子を見守るような感覚です。感情たちというのはお庭で転げ回って遊んでいる子供のようなものです。次の瞬間には何をし始めるかわからない、だからこそおもしろい。でもそれに振り回されていたのではそのおもしろさを感じることはできません。感情に捉われずに慈しみ深くそれらを感じ尽くし手放すこと。

さて、次のキーワードが「手放すこと」です。全てのことを手放すこと。感情も出来事も、物もあらゆること全てを。これは感情を感じてはいけないとか、目標を持ってはいけないとか、物を持ってはいけないということではありません。ただ、その奥にある本質を見抜き、時期がきたら執着せずに送り出すことなのです。執着すればスピリットは自由を失ってしまうからです。手放すことを実践するのを助けてくれているのがホ・オ・ポノポノです。私は感情に捉われているな、と気付いた時にはすぐに「愛しています、愛しています・・・」とひたすら心の中で唱えます。そうすると感情の方から徐々にスピリットの方へと向いていくのです。愛していますと唱えることが切り替えスイッチとなっているといった感じでしょうか。出来事に関しての執着でいえば、私は目標を立ててそれに向かって日々考え努力することが好きなので、つい未来に捉われがちになります。というのも、立てた目標を達成するために行動しているのに、その今の行動自体に喜びを感じるのを忘れてしまったりするのです。それは今にない状態であり、結果思考型の、過程を楽しむことを疎かにしている状態です。だから、私は大きな目標、全ての人生はそこに終結するためでありそれが私の使命であるというものだけを掲げておくことにしました。そして、その目標が達成されようがされまいが構わない。結果としてついてくるものならそれはありがたいことだ。そう思えるようになりました。物やお金に関しては、もともとそんなに執着する方ではないので、森の中に一軒家があったらいいな、欲しい物といえばこの人生ではあとそれくらいかな、と思っています。

ニセコでは女性性と男性性についても色々と考えるきっかけをいただきました。そして、この前「アマテラスの祈り」という本をお借りしたのを機に、女性の役割を深く理解し、受け入れ、実行することが少しずつできるようになってきました。男性と女性のどちらが上かということではなく、そもそも土台が違うのだから比較の仕様も無いのです。お互いに競うのではなく、それぞれが役割を最大限に活かしきれる世界、それこそが幸せな世界だと思います。男性は陽であり、前にどんどん進んでいく改革のエネルギーに満ちた存在です。女性は陰であり、受け入れ愛し、育むエネルギーを持っています。この両方の存在、両方のエネルギーがあり、互いに尊敬しあい、高めあうからこそ素晴らしく、愛に満ちた世界へと近づいていくのです。まだまだ、私はレッスン中です。

「受け入れる」。これこそが幸せの鍵の一つだと思います。今在る状態を全て受け入れる。受け入れると、この世界の基準での善悪も幸不幸もなくなり、ただ「在る」状態になり、感謝が生まれてきます。私は今この状態を体験させていただいている、この宇宙に貢献させていただいている。生かしていただいている。大きな大きな愛に包まれ、ただただ感謝するのみで、涙が出てくるくらいにありがたくなるのです。私の欲しいものやしたいことはもう十二分にさせていただきました。これからの人生はどうぞ、この世界、そしてこの宇宙のためにお使い下さい。そういう気持ちなのです。今まで苦しく不満ばかりだったこともこの感謝をもってすればありがたいことなのだと気付かされました。人様の、この宇宙のお役に立てる機会をこんなにも毎日いただいていることを感謝するばかりです。一日の「ありがとう」の言葉の数も毎日増え、とても嬉しく幸せに過ごさせていただいています。この1か月半も沢山のことに気付かせていただき、幸せをいただき、ありがとうございました。

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2011年7月 5日 (火)

マクロビオティック、粗食、素食、精進料理

私の今のマイブームは「食」についてです。2週間の自給自足生活で変わったことの一つがこの食べ物に関してです。肉、魚、卵、牛乳は摂らず、砂糖もなるべく使わないように心掛けた料理なのにとっても美味しいsign03のです。今までは料理は嫌いで、一人分を作るのは面倒だな・・・と思いながらやっていたところがありました。それがこの2週間、多いときには10人分の食事を作ることもあり、食べた時にみんなが「美味しい」と言いながら笑顔で食べてくれる経験をすることでお料理がとても楽しいと思うようになりました。しかも、食が私達の体を作ってくれるので、健康について興味のある私にとっては面白く、奥の深いテーマであるとも思いました。また、調味料を最初から作ったり、無い物でも色んな食材を混ぜ合わせることで頭で想像している味にするという工夫やアイディアが楽しいと感じることで、料理に対する「こうでなければならない」という堅苦しい思い込みがポンッと解き放たれた感じがしました。そのお陰で、家にある食材を見て、すぐに色んなアイディアが浮かんできて楽しく手軽に料理を作ることができるようになりました。しかも、肉や魚を使わないので洗い物もとっても楽ちん。水で洗うだけでいいものが大半なので、洗剤を使わずに地球にも優しいのです。
一度ブームが起こるととことん知りたくなる私は、マクロビや粗食の本を毎日読みふけっています。毎月平均15冊の読書だったのに、今月は50冊に。また本が家に増えちゃったな・・・と思いつつ、毎日楽しい読書の時間を満喫しています。ちなみに今おすすめの本は幕内秀夫さんの本です。粗食についての概要の本も出ていますし、季節ごとのレシピ集も出ています。幕内さんの本は10冊程読んで、実際作ってみたりもしました。どれも簡単に美味しくできます。それからお菓子の本では中島デコさんの「パンとおやつ」、山本路子さんの「おだんごカフェのからだにやさしいスィーツレシピ」が美味しくて可愛いのでオススメです。見ているだけでもハッピーな気分になれると思います。

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2011年7月 3日 (日)

自給自足生活をしてきました

6月16日から30日までの2週間、ニセコの羊蹄山の麓にある共同体(WOOFの受け入れもしています)「自給自足生活研究所 」で生活してきました。電気は太陽光のみで、水は飲み水は湧き水、その他の水はすぐ横を流れている川を使わせてもらいます。1日の中の活動としては畑仕事やご飯作りをさせてもらえる他に、毎朝ヨガと瞑想もさせてもらえる上に、週末にはヨガ合宿といって1日ヨガと瞑想と呼吸法を学べる合宿にも参加させてもらうことができます。私はこの2週間で自然農の知識と実践、豆腐作りや草木染め、まき割り、火の熾し方、薬草について、マクロビオティックや精進料理のような肉・魚・卵・牛乳を使わない料理についてなど、毎日沢山のことを学んだりアイディアを出し合ったり、色んな人達の知識や知恵を授けてもらうことができて、本当に素晴らしい経験をさせてもらうことができました。感謝と感動でいっぱいです。

私はヨガや瞑想に興味があったのですが、未だにヨガを1回経験したことがあるだけだったので、毎日やらせてもらうことができて心も体も浄化されました。ヨガや瞑想ができるとは知らないままに行ったのですが、実践してみると、これからも続けようと思うくらいに私には効果がありました。私はもともと身体よりも精神世界に興味がある人間なので、体を激しく動かしたり鍛えるためのヨガのポーズをするというよりは、自分の内面を見つめる作業の方が好きなのですが、ここで教えてもらったハタヨガは、内面に意識を向けるヨガのため、私にはぴったりでした。瞑想も、今までは雑念がいっぱいで何をどうしたら瞑想になるのかがわからなくて、でも質問をする人もいないという状況だったので特にやっていませんでした。瞑想ってよくわからないな~と思いながら続けていたところ、瞑想を始めて3日目に、ひどく具合が悪くなり、体はダルイし涙はボロボロ出るしで、その日は1日中何もすることができませんでした。その時の心の中の状況としては、暗くて大きな穴、ブラックホールみたいなものが意識の中の私の目の前にあって、意識の中の私がそれに触れてしまったら暗闇に引きずりこまれて二度と戻ってこれないような恐ろしく悲しい感覚がありました。意識の中のこととはいえ、そのブラックホールを見ているだけで涙がこぼれてくるのです。どうしたらよいのかわからず、ただその状況を観察していると、そのブラックホールの正体は「孤独」であるということがわかりました。思い返せば、5年ほど前の私にとって、孤独というブラックホールは今よりもずっとずっと大きな存在でした。普通に生活している時でも孤独は付きまとい、もう生きていくのは無理なんじゃないかと思ったりしたこともありました。一緒に居る人がいなくて寂しいとか、そういう寂しさではなく、宇宙から切り離され見捨てられたような絶望的な孤独。もう超えられない、何度もそう思いました。その孤独感が今回瞑想をしているうちに潜在的な意識から再び呼び起こされたのだと思います。2日ほどそのブラックホールを抱えたまま生活していると、意外にも早く、「ブラックホールに触れてみよう」という勇気が湧いてきたのです。暗闇の向こうには光が必ずあるとこの5年間で学んだおかげでもあります。瞑想をしながら、意識の中で暗闇の向こうに手を伸ばすと、黒い霧が晴れていき、その先にあったもの(いたの)は「私自身」でした。やっと見つけてくれたね、やっと繋がってくれたのね、というような笑顔で私を見つめ返していました。その自分を見た瞬間、一つになれたという温かくて安心する、愛に包まれた感覚を体験しました。それと共に、「私はここにいる(在る)」という力強い感覚と、これから歩んでいく道のビジョンを真っ直ぐに見つめる揺らぐことのない自信を授かりました。そのような体験をしてから、少しずつ瞑想の意味がわかってきました。ただボーっとしていると、人間は絶えず思考をして色んなところに意識が飛んでしまいます。その度に意識を戻すことをするのですが、戻す際に「違うところに意識が飛んでいってしまっている」と気付いているのは一体誰なのでしょう?その「誰か」が真我なのではないかと私は思うのです。真我が思考を客観的に観察しコントロールすることで、感情も自分のコントロール下に置くことが可能となり、常に真我(私)が主役として生きることができるようになる。それがこの2週間瞑想したことで実際にわかったことでした。瞑想でその感覚が少しずつわかってくると、ヨガの仕方も変わっていきました。ヨガはゆったりとやってもやっぱり体の伸ばしている部分は痛いものです。でも、痛みを不快だと感じるのではなく、むしろ痛さをも客観的に観察して痛いということを意識することすらなく「こういう状況なんだ」とただその体の状態を受け入れるという感覚がわかってきたのです。でも、常にそういう状態ではいられなくて「いたたたた・・・」とすぐに意識がどこかにいくわけなのですが、きっと悟りというのはこの延長線上にあるのだな、ということを実感することができました。
精神面も身体面も結局一緒で、一つ。万物は一つ。そしてその状態には評価するという概念はなく、ただ在るだけ。そこに良いも悪いもなく、あるがままに受け入れる。それが平和を創造する。特別になろうとか、競争に勝とうとか、何かができるとか、人を蔑んだり批判したりとか、そういうことに捉われて生きるよりも、私は愛と平和を選んで生きていきたい。ただ今に生きていることが幸福だと実感していたい。もし何かお役目があるのなら、そのように私を導いてくれればいいし、日々の小さな幸せに気付きながら喜びに溢れて生きるのが私の魂、そして宇宙の願いなら、私はそう生きよう。全てを手放してこの世界を見れるようになった時、真我で私は世界を見ている。

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2011年5月22日 (日)

毎日変わる

前回の記事を書いてから早いもので1か月が経ちました。この1か月間はとっても充実した、苦しくもあり、喜びもありの期間でした。
これまでの生き方の根本的な考え方を見直す作業というのは、まるで何人もの自分が一斉に存在しているかのような感覚なのです。何かの出来事に反応している私(Aちゃんとします)、それを否定しようとする私(Bちゃん)、否定されて悲しんでいる自己卑下人格の私(Cちゃん)、怒っている私(Dちゃん)、完璧に事を収めようとする私(Eちゃん)・・・2週間程は、このようにだいたい5人の私を「本来の私」がなぜそのように否定するのか、自己卑下してしまうのか、怒るのかなど、その理由を一つ一つ自分の内側に探して、考え方を少しずつ改めたり、まとめたり、新しい回路を作り直したりということを毎日、毎瞬していました。その作業が落ち着くまでには人格同士が入れ替わり立ち代り、我先にと私の体を乗っ取ろうとするのです。さっき言ったこととは真逆の考え方が出てくるのなんて当たり前。つい一瞬前の私とは性格が違うのも当たり前。けれども、現実世界では淡々と仕事をこなさなければならない。表向きは仕事を正確に落ち着いてこなしながら、内側では自分の中に混乱した5人以上の「私(Aちゃん~Eちゃん)」を抱えた生活。振り返ってみても、何をしていたのかはよくわからないし、とにくかく必死でした。けれど、私は必死に生きるのが好きだし、私らしい生き方でいいのかもしれないとも思えたのでそれが救いでした。
そんな救いの中、私が決めたことは「毎日変化すること」でした。どんなに苦しくても、毎日変わればいつかは大きな変化となって現れるはず。毎日何かに気付き、毎日学び、毎日実践し、毎日感じ、毎日振り返る。何か一つでいいから変化して一日を終えて、次の日に活かすこと。事実を直視して改善したり新しいことを始めてみること、しかも自分を罰したり卑下したりしないで、です。
そんな風に1か月間過ごしてみただけで、状況は全くガラリと変わりました。私は現実を変えようと思ったわけではなく、自分の内面を変えようとすることだけに必死でした。心の在り様次第で出来事はどうとでも受け止められるのだから、とにかく私は私の内面をより素敵にしたくて、ただその一心でこの1か月過ごしてきただけだったのに、本当に現実世界の状況もいつの間にか不思議なくらいに変化したのです。
人生っておもしろいな~と思える出来事を体験できて嬉しく思っている私です。

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