FAIRY

妖精さん、私はあなたがいるって信じてるよ。

大人になったってその思いはずっとずっと変わらない。

そんなのいやしないさって大人たちは言うけれど、それは忘れてしまっただけなんだ。

子供の頃には見えていたはずのものたちを。

会いたいと思ったらいつでも会えるのさ。

心の目で見ればいつでもね。

以前のブログもよろしくお願いします。

☆この「FAIRY]の記事は常にトップ記事にしてありますので、更新した記事はこの下から表示されます。

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2011年8月21日 (日)

今の全てに感謝

ニセコから帰ってきてから早くも1か月半が過ぎました。この1か月半の私の内面の変化をブログに書いておこうと思います。

ニセコでは「今に生きる」ということの大事さを改めて感じました。人間は意識せずにいるとつい感情に振り回されてしまいます。しかし、ある感情が湧き上がってきた時に「私は今どのように感じている?そしてそれを感じているのは誰?」と自分自身に問うてみることで、更に「それを問うているのは誰?」という問いに行き着きます。その問うている者こそが本当の自分(スピリット、魂)なのです。このスピリットを意識できるようになると、怒りや悲しみ、喜びなどの感情が激しく押し寄せてきたときでも矛盾しているようですが、穏やかな状態で居られるのです。「あぁ、私は今怒りを感じているよ、今とても悲しいよ、とっても幸せだよ」と、それらの感情たちが愛しくなってくるのです。それは痛みや喜びを共有しつつ、いつも温かく愛情深くそして冷静に我が子を見守るような感覚です。感情たちというのはお庭で転げ回って遊んでいる子供のようなものです。次の瞬間には何をし始めるかわからない、だからこそおもしろい。でもそれに振り回されていたのではそのおもしろさを感じることはできません。感情に捉われずに慈しみ深くそれらを感じ尽くし手放すこと。

さて、次のキーワードが「手放すこと」です。全てのことを手放すこと。感情も出来事も、物もあらゆること全てを。これは感情を感じてはいけないとか、目標を持ってはいけないとか、物を持ってはいけないということではありません。ただ、その奥にある本質を見抜き、時期がきたら執着せずに送り出すことなのです。執着すればスピリットは自由を失ってしまうからです。手放すことを実践するのを助けてくれているのがホ・オ・ポノポノです。私は感情に捉われているな、と気付いた時にはすぐに「愛しています、愛しています・・・」とひたすら心の中で唱えます。そうすると感情の方から徐々にスピリットの方へと向いていくのです。愛していますと唱えることが切り替えスイッチとなっているといった感じでしょうか。出来事に関しての執着でいえば、私は目標を立ててそれに向かって日々考え努力することが好きなので、つい未来に捉われがちになります。というのも、立てた目標を達成するために行動しているのに、その今の行動自体に喜びを感じるのを忘れてしまったりするのです。それは今にない状態であり、結果思考型の、過程を楽しむことを疎かにしている状態です。だから、私は大きな目標、全ての人生はそこに終結するためでありそれが私の使命であるというものだけを掲げておくことにしました。そして、その目標が達成されようがされまいが構わない。結果としてついてくるものならそれはありがたいことだ。そう思えるようになりました。物やお金に関しては、もともとそんなに執着する方ではないので、森の中に一軒家があったらいいな、欲しい物といえばこの人生ではあとそれくらいかな、と思っています。

ニセコでは女性性と男性性についても色々と考えるきっかけをいただきました。そして、この前「アマテラスの祈り」という本をお借りしたのを機に、女性の役割を深く理解し、受け入れ、実行することが少しずつできるようになってきました。男性と女性のどちらが上かということではなく、そもそも土台が違うのだから比較の仕様も無いのです。お互いに競うのではなく、それぞれが役割を最大限に活かしきれる世界、それこそが幸せな世界だと思います。男性は陽であり、前にどんどん進んでいく改革のエネルギーに満ちた存在です。女性は陰であり、受け入れ愛し、育むエネルギーを持っています。この両方の存在、両方のエネルギーがあり、互いに尊敬しあい、高めあうからこそ素晴らしく、愛に満ちた世界へと近づいていくのです。まだまだ、私はレッスン中です。

「受け入れる」。これこそが幸せの鍵の一つだと思います。今在る状態を全て受け入れる。受け入れると、この世界の基準での善悪も幸不幸もなくなり、ただ「在る」状態になり、感謝が生まれてきます。私は今この状態を体験させていただいている、この宇宙に貢献させていただいている。生かしていただいている。大きな大きな愛に包まれ、ただただ感謝するのみで、涙が出てくるくらいにありがたくなるのです。私の欲しいものやしたいことはもう十二分にさせていただきました。これからの人生はどうぞ、この世界、そしてこの宇宙のためにお使い下さい。そういう気持ちなのです。今まで苦しく不満ばかりだったこともこの感謝をもってすればありがたいことなのだと気付かされました。人様の、この宇宙のお役に立てる機会をこんなにも毎日いただいていることを感謝するばかりです。一日の「ありがとう」の言葉の数も毎日増え、とても嬉しく幸せに過ごさせていただいています。この1か月半も沢山のことに気付かせていただき、幸せをいただき、ありがとうございました。

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2011年7月 5日 (火)

マクロビオティック、粗食、素食、精進料理

私の今のマイブームは「食」についてです。2週間の自給自足生活で変わったことの一つがこの食べ物に関してです。肉、魚、卵、牛乳は摂らず、砂糖もなるべく使わないように心掛けた料理なのにとっても美味しいsign03のです。今までは料理は嫌いで、一人分を作るのは面倒だな・・・と思いながらやっていたところがありました。それがこの2週間、多いときには10人分の食事を作ることもあり、食べた時にみんなが「美味しい」と言いながら笑顔で食べてくれる経験をすることでお料理がとても楽しいと思うようになりました。しかも、食が私達の体を作ってくれるので、健康について興味のある私にとっては面白く、奥の深いテーマであるとも思いました。また、調味料を最初から作ったり、無い物でも色んな食材を混ぜ合わせることで頭で想像している味にするという工夫やアイディアが楽しいと感じることで、料理に対する「こうでなければならない」という堅苦しい思い込みがポンッと解き放たれた感じがしました。そのお陰で、家にある食材を見て、すぐに色んなアイディアが浮かんできて楽しく手軽に料理を作ることができるようになりました。しかも、肉や魚を使わないので洗い物もとっても楽ちん。水で洗うだけでいいものが大半なので、洗剤を使わずに地球にも優しいのです。
一度ブームが起こるととことん知りたくなる私は、マクロビや粗食の本を毎日読みふけっています。毎月平均15冊の読書だったのに、今月は50冊に。また本が家に増えちゃったな・・・と思いつつ、毎日楽しい読書の時間を満喫しています。ちなみに今おすすめの本は幕内秀夫さんの本です。粗食についての概要の本も出ていますし、季節ごとのレシピ集も出ています。幕内さんの本は10冊程読んで、実際作ってみたりもしました。どれも簡単に美味しくできます。それからお菓子の本では中島デコさんの「パンとおやつ」、山本路子さんの「おだんごカフェのからだにやさしいスィーツレシピ」が美味しくて可愛いのでオススメです。見ているだけでもハッピーな気分になれると思います。

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2011年7月 3日 (日)

自給自足生活をしてきました

6月16日から30日までの2週間、ニセコの羊蹄山の麓にある共同体(WOOFの受け入れもしています)「自給自足生活研究所 」で生活してきました。電気は太陽光のみで、水は飲み水は湧き水、その他の水はすぐ横を流れている川を使わせてもらいます。1日の中の活動としては畑仕事やご飯作りをさせてもらえる他に、毎朝ヨガと瞑想もさせてもらえる上に、週末にはヨガ合宿といって1日ヨガと瞑想と呼吸法を学べる合宿にも参加させてもらうことができます。私はこの2週間で自然農の知識と実践、豆腐作りや草木染め、まき割り、火の熾し方、薬草について、マクロビオティックや精進料理のような肉・魚・卵・牛乳を使わない料理についてなど、毎日沢山のことを学んだりアイディアを出し合ったり、色んな人達の知識や知恵を授けてもらうことができて、本当に素晴らしい経験をさせてもらうことができました。感謝と感動でいっぱいです。

私はヨガや瞑想に興味があったのですが、未だにヨガを1回経験したことがあるだけだったので、毎日やらせてもらうことができて心も体も浄化されました。ヨガや瞑想ができるとは知らないままに行ったのですが、実践してみると、これからも続けようと思うくらいに私には効果がありました。私はもともと身体よりも精神世界に興味がある人間なので、体を激しく動かしたり鍛えるためのヨガのポーズをするというよりは、自分の内面を見つめる作業の方が好きなのですが、ここで教えてもらったハタヨガは、内面に意識を向けるヨガのため、私にはぴったりでした。瞑想も、今までは雑念がいっぱいで何をどうしたら瞑想になるのかがわからなくて、でも質問をする人もいないという状況だったので特にやっていませんでした。瞑想ってよくわからないな~と思いながら続けていたところ、瞑想を始めて3日目に、ひどく具合が悪くなり、体はダルイし涙はボロボロ出るしで、その日は1日中何もすることができませんでした。その時の心の中の状況としては、暗くて大きな穴、ブラックホールみたいなものが意識の中の私の目の前にあって、意識の中の私がそれに触れてしまったら暗闇に引きずりこまれて二度と戻ってこれないような恐ろしく悲しい感覚がありました。意識の中のこととはいえ、そのブラックホールを見ているだけで涙がこぼれてくるのです。どうしたらよいのかわからず、ただその状況を観察していると、そのブラックホールの正体は「孤独」であるということがわかりました。思い返せば、5年ほど前の私にとって、孤独というブラックホールは今よりもずっとずっと大きな存在でした。普通に生活している時でも孤独は付きまとい、もう生きていくのは無理なんじゃないかと思ったりしたこともありました。一緒に居る人がいなくて寂しいとか、そういう寂しさではなく、宇宙から切り離され見捨てられたような絶望的な孤独。もう超えられない、何度もそう思いました。その孤独感が今回瞑想をしているうちに潜在的な意識から再び呼び起こされたのだと思います。2日ほどそのブラックホールを抱えたまま生活していると、意外にも早く、「ブラックホールに触れてみよう」という勇気が湧いてきたのです。暗闇の向こうには光が必ずあるとこの5年間で学んだおかげでもあります。瞑想をしながら、意識の中で暗闇の向こうに手を伸ばすと、黒い霧が晴れていき、その先にあったもの(いたの)は「私自身」でした。やっと見つけてくれたね、やっと繋がってくれたのね、というような笑顔で私を見つめ返していました。その自分を見た瞬間、一つになれたという温かくて安心する、愛に包まれた感覚を体験しました。それと共に、「私はここにいる(在る)」という力強い感覚と、これから歩んでいく道のビジョンを真っ直ぐに見つめる揺らぐことのない自信を授かりました。そのような体験をしてから、少しずつ瞑想の意味がわかってきました。ただボーっとしていると、人間は絶えず思考をして色んなところに意識が飛んでしまいます。その度に意識を戻すことをするのですが、戻す際に「違うところに意識が飛んでいってしまっている」と気付いているのは一体誰なのでしょう?その「誰か」が真我なのではないかと私は思うのです。真我が思考を客観的に観察しコントロールすることで、感情も自分のコントロール下に置くことが可能となり、常に真我(私)が主役として生きることができるようになる。それがこの2週間瞑想したことで実際にわかったことでした。瞑想でその感覚が少しずつわかってくると、ヨガの仕方も変わっていきました。ヨガはゆったりとやってもやっぱり体の伸ばしている部分は痛いものです。でも、痛みを不快だと感じるのではなく、むしろ痛さをも客観的に観察して痛いということを意識することすらなく「こういう状況なんだ」とただその体の状態を受け入れるという感覚がわかってきたのです。でも、常にそういう状態ではいられなくて「いたたたた・・・」とすぐに意識がどこかにいくわけなのですが、きっと悟りというのはこの延長線上にあるのだな、ということを実感することができました。
精神面も身体面も結局一緒で、一つ。万物は一つ。そしてその状態には評価するという概念はなく、ただ在るだけ。そこに良いも悪いもなく、あるがままに受け入れる。それが平和を創造する。特別になろうとか、競争に勝とうとか、何かができるとか、人を蔑んだり批判したりとか、そういうことに捉われて生きるよりも、私は愛と平和を選んで生きていきたい。ただ今に生きていることが幸福だと実感していたい。もし何かお役目があるのなら、そのように私を導いてくれればいいし、日々の小さな幸せに気付きながら喜びに溢れて生きるのが私の魂、そして宇宙の願いなら、私はそう生きよう。全てを手放してこの世界を見れるようになった時、真我で私は世界を見ている。

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2011年5月22日 (日)

毎日変わる

前回の記事を書いてから早いもので1か月が経ちました。この1か月間はとっても充実した、苦しくもあり、喜びもありの期間でした。
これまでの生き方の根本的な考え方を見直す作業というのは、まるで何人もの自分が一斉に存在しているかのような感覚なのです。何かの出来事に反応している私(Aちゃんとします)、それを否定しようとする私(Bちゃん)、否定されて悲しんでいる自己卑下人格の私(Cちゃん)、怒っている私(Dちゃん)、完璧に事を収めようとする私(Eちゃん)・・・2週間程は、このようにだいたい5人の私を「本来の私」がなぜそのように否定するのか、自己卑下してしまうのか、怒るのかなど、その理由を一つ一つ自分の内側に探して、考え方を少しずつ改めたり、まとめたり、新しい回路を作り直したりということを毎日、毎瞬していました。その作業が落ち着くまでには人格同士が入れ替わり立ち代り、我先にと私の体を乗っ取ろうとするのです。さっき言ったこととは真逆の考え方が出てくるのなんて当たり前。つい一瞬前の私とは性格が違うのも当たり前。けれども、現実世界では淡々と仕事をこなさなければならない。表向きは仕事を正確に落ち着いてこなしながら、内側では自分の中に混乱した5人以上の「私(Aちゃん~Eちゃん)」を抱えた生活。振り返ってみても、何をしていたのかはよくわからないし、とにくかく必死でした。けれど、私は必死に生きるのが好きだし、私らしい生き方でいいのかもしれないとも思えたのでそれが救いでした。
そんな救いの中、私が決めたことは「毎日変化すること」でした。どんなに苦しくても、毎日変わればいつかは大きな変化となって現れるはず。毎日何かに気付き、毎日学び、毎日実践し、毎日感じ、毎日振り返る。何か一つでいいから変化して一日を終えて、次の日に活かすこと。事実を直視して改善したり新しいことを始めてみること、しかも自分を罰したり卑下したりしないで、です。
そんな風に1か月間過ごしてみただけで、状況は全くガラリと変わりました。私は現実を変えようと思ったわけではなく、自分の内面を変えようとすることだけに必死でした。心の在り様次第で出来事はどうとでも受け止められるのだから、とにかく私は私の内面をより素敵にしたくて、ただその一心でこの1か月過ごしてきただけだったのに、本当に現実世界の状況もいつの間にか不思議なくらいに変化したのです。
人生っておもしろいな~と思える出来事を体験できて嬉しく思っている私です。

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2011年4月20日 (水)

考え方を見直す

人は考え、感じ、行動し、その結果を体験として得ます。考え方も感じ方も人それぞれなので行動も色々なパターンが考えられます。しかし、そもそもの考え方が歪んでいたり、ネガティブなものだらけだったりしたならば結果はどうなるのだろう?私の疑問はそこから始まりました。そして、その考え方や感じ方はいつから、どうして身に付いたのだろう?
その結論は両親の育て方や両親の考え方の影響が強いというところに行き着きました。私の考え方は喜びや幸せ、安心感、愛など、心が温かくなるようなものとは正反対のものばかりで構成されています。侵略、支配、拒絶、批判、恐れ、私の考え方のほとんどはこういったものを土台としています。今までも、外界の出来事は自分の心の持ちようであるということは何度か書いてきましたが、それは一つ一つの出来事単独に対してのみの自分の心の在り様について私は書いていたのだと気が付きました。そうではなくて、私の場合はそもそもの根源的な考え方の回路を新しくする必要があったのです。
そのために、まずは自分の考え方を客観的によく観察し、残しておく回路と新しくした方がよい回路とに選り分ける作業をします。自分が幸せだと感じる時はいつか?またそれはなぜか?逆に不快感や恐れを抱く状況とはどんな時で、その時の感じ方、そう感じるのはなぜか?を自問自答します。そうして私の自分の考え方を見つめる作業はまだ続いているわけですが、少しやってみただけでも自分がどれだけ不幸な考え方をし、極端で、歪んでいるかが解り始めています。そして親の考え方を受け継いでいるということも。
まだ私はこの段階にいるので、次の段階についてはまだ書いてもただ頭でわかっていることになってしまうので、また今度書こうと思います。

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2011年4月 9日 (土)

さあ、才能に目覚めよう

先日、何年も気になっていた本を買いました。それが「さあ、才能(自分)に目覚めよう」という本です。私には「何かが出来ないと存在を否定される」と思い込んでいるところがあります。普段はそんな風に考えなくても、小さい頃に出来上がった脳の回路の一部が何らかの出来事をきっかけに刺激されてしまうことがあるのです。そうすると「自分は何も出来ない、生きている価値がない」と自分を全否定し始めて落ち込んで一人ではなかなか抜けられなくなってしまうのです。ということで、そういう回路が働いても、「私にはこんなに素敵なところがあるでしょ、大丈夫だよ」ということを思い出すためのアイテムを置いておくことにしたのです。

この本は私にとっては心理的な本ですが、この本自体は自己啓発の本であり、企業や個人がどうしたら業績や成果をもっと上げることが出来るのかということを趣旨に書かれています。ほとんどの企業(個人)は、その人がどうしたら弱い部分を克服することが出来るのかということに重きを置き、主に弱い部分に焦点を当ててそこを補うことにエネルギーも時間も割いている、ということから始まります。しかし、弱い部分にばかり目を向けるのではなく、その人の才能に磨きをかけ、それを強みにしていく方がより効果的であるとこの本では言っています。小さい頃にはシナプスが無数にあるが、成長していくにつれてよく使われる回路だけが残り、その他の回路は必要以上の情報を脳に入れすぎて脳がパンクすることを防ぐために機能を失っていく。だから弱みを強化しようとしても、才能のある人と同じだけのことをしようとすると必要以上にエネルギーを使うことになってしまう。それよりもその人の才能を存分に活かした方がその人も楽しく働ける。私が思うに、人間は褒められると嬉しくなるもので、でも褒められるためには苦手なこともを克服してそしてようやく結果を出してこそ褒められるべきだ、と考えてしまいがちです。私もそう思う癖があります。そういった思い込みがあるから、仕事は楽しく自分のやりたいことをやればいいという考えとは逆に、汗水流して苦労して働き、お金をいただく、という世界になっているのではないかと思うのです。話は本に戻って、では実際、自分にはどんな才能があるのか。それを分析してくれるサイトに繋がるようにこの本にはパスワードが書かれています(一冊一冊異なり、一冊につき1回しかできないのではないかと思います)。パソコン上での質問が次々と出てきて、30分ほどいくつもの質問を直感的に答えた後で診断結果が出ます。診断は34パターンあるうちの5つを自分の才能としてはじき出してくれます。
<34のパターン>
アレンジ、運命思考、回復志向、学習欲、活発性、共感性、競争性、規律性、原点思考、公平性、個別性、コミュニケーション、最上志向、自我、自己確信、社交性、収集心、指令性、慎重さ、信念、親密性、成長促進、責任感、戦略性、達成欲、着想、調和性、適応性、内省、分析思考、包含、ポジティブ、未来志向、目標志向


例として、私の診断結果を載せておきます。
①内省:考えることが好き。自分自身に色々な質問を投げかけ、自分それぞれの回答がどうであるか検討します。考えることこそエネルギーの源なので、もとまった時間を作り、考えることだけに集中することで、思考力がより鋭くなります。そのため、マイペースに個人的に仕事を出来る環境に適しています。
②運命思考:偶然起こる事は何もないと考えている。それは、人々が互いに結びついていることを確信しているからです。精神性を重んじるところがあります。大きな存在の一部であり、人々はみな同じであると確信しています。見えない力を敏感に感じ取り、平凡な日常生活の中に意味があるという安心感を他の人に与えることができます。人と人、企業と企業を結びつけることに才能があり、企業の中での使命を考え推進しようとするので「個」より大きな存在の一員であることに満足をおぼえます。
③社交性:知らない人と出会い、彼らに自分を好きにさせることに挑戦するのが大好き。そして一度そのような関係ができあがると、そこでそれを終わりにして、また次の人へ進みます。新しい人が次々と来て、そして去っていくという環境におくと才能を発揮します。窓口に据えると最初の印象が良くなります。
④収集心:知りたがり屋。あらゆるもの(物、情報等)を収集し、色んなものに好奇心を覚えます。重要な問題を調査したり、インターネットなどで情報収集をする時に才能を発揮できます。
⑤包含:「もっと輪を広げよう」。これが人生の基本信念です。本能的に寛容性を持っている人です。あなたは人をほとんど批判しません。あなたの資質は「人はそれぞれ違っており、その違いに敬意を払うべきだ」という信念に必ずしも基づいているわけではなく、むしろ、人は基本的にみな同じでみな重要であるという確信に基づいています。企業内の輪を作ることに貢献し、また、企業と顧客の間の壁を取り払う橋渡し役に才能を発揮します。

私にはこういう才能があるんだよ、と古い回路で考え行動している時には思い出して認めることから始めています。古い回路では「何が出来るかが重要なんだ!」と思い込んでいるので、その回路に合わせながら少しずつ回路の修正をするということを試みています。そうして、何か一つでも出来ないことがあれば生きている価値がないという極端な考え方を新しい回路に繋げる作業を最近は日々行っています。

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2011年3月 2日 (水)

新しい道へ

最近、龍と黒ずくめの男についての記事を書きました。それらは感情と理性を具現化した話として書いてみたわけですが、それを書いている時に、このどちらもエゴであるということに気が付きました。そして私の今までの生き方はこのエゴの声を聞いたものがほとんどで、その声が本当の私であるかのように生きてきました。でも、この数週間でその生き方を変えてみようと決心しました。
私は自分に厳しい人間です。そして、他人にも厳しい人間です。だから赦すということをなかなか出来ません。また、したくもなかったのだと思うのです。なぜなら、人を批判することは優越感に浸れるし、他人を批判することで自分は正しいのだと遠回しに自分にも他人にも賛同してもらえるし、他にも理由は沢山ありますが、つまりは私は人を批判したかったのです。だから批判できる環境に身を置いていたのです。その環境を嫌だ嫌だと口では言いながら、批判できる環境を求め、喜んでいました。この批判をしたがっているのがエゴです。私の場合のエゴは自分に自信がない時に特に膨れ上がります。そうして批判ばかりし始め、自分の正しいことを証明したがります。私はそのことに気付いた時、とても悲しくなりました。自分の生き方があまりに低レベルで落ち込みました。そんな時、職場を変えることにし、次にどこで何をしようか考えました。考える中で、私はずっと、やりたいことを職業にしたいと思ってきたはずなのに、いざその環境を提示されたら尻込みしている自分に気が付いたのです。その理由を突き詰めていった結果が、「もう批判することができなくなるから」という、本当にここに書くのも恥ずかしくなるほどの結論でした。それはエゴの考え方だとわかっても、新しい考え方を選択するまでには時間がかかりました。「ずっと私(エゴ)の考え方で生きてきたのに、それをやめるの?そんなことしたら、今までの生き方を否定することになって苦しむことになるよ」とエゴの声が言いました。少し落ち込んだけれど、今までの生き方は一生懸命にしてきたことだもの、それがその時の精一杯だったと受け入れることにしました。次に「批判できなくなったら辛いよ、いつも素敵でいるなんて無理だよ」とエゴが言いました。いつも素敵な状態を最初から保つのは難しいかもしれない、けれどその状態でいられる時間を長くしていこうとするだけでも違ってくるはず。そうエゴに言いました。まだまだエゴは頑張ります。「あなたはもともと批判したい低レベルな人間なんだよ」。その声が聞こえた時は涙が止まりませんでした。ああ、私はこうやっていつも自分を蔑んでいたんだ。その呪縛から解き放たれたくて人を批判していた。ごめんなさい、と思いました。そして、自分に自信が持てなくて、自分を愛してあげられなくて赦してあげられなくて、ごめんなさい・・・私の中のエゴはとても怯えました。自分の居場所がなくなる、自分の存在意義がなくなる、なんとか説得しなければ、と。色んな恐れを生み出してみたり、怒ってみたり、エゴは頑張ってみたものの、それを愛の視点で一つ一つ解決することを繰り返した結果、ようやくエゴはしぶしぶ「見捨てたり否定したりしないなら、愛の言うことも少しは聞いてあげてもいいよ」、と反抗期の子供のように言いました。批判は他人を批判しているようで、本当は自分への批判なのです。だから批判すればする程、自分が傷ついているのです。でもそれも、自分に自信がないから他人を低めようとする単純な行為の表れなのです。私は自分に自信が持ちたいのです。自分で自分を素敵だねって言ってあげて、喜びと愛と幸せに包まれた人間になりたいのです。だから、私はエゴではなく、魂の望む方へ進むことを決めました。変わるために、新しい一歩!

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2011年2月25日 (金)

初めてのヨガ

一昨日、初めてヨガを体験しました。最近、自分の内側の声を聞くということがテーマなので、以前からしてみようと思っていた瞑想かヨガを・・・と思っていたところ、素敵な感じのところを紹介してもらったので行ってみたというわけなんです。ヨガでも、ポーズや体を動かすということに重点を置いているものに興味があるのではなく、静かに、自分の呼吸に集中して自分と向き合い、自分の宇宙を感じることに私は興味があります。

最初、軽い話題をしてから心と体をほぐし、それから2時間程のヨガの後、最後に10分位の瞑想で終了です。愛のマントラの曲が流れていて、部屋はプラネタリウムで星がいっぱい。そんな素敵な空間で初めてのヨガを経験できました。

2時間あまり、ずっと呼吸に集中です。初めての私はあれこれと違うことを考えて意識がどこかへいくことだってよくありました。それでも、驚く程の変化がすぐにわかりました。まず、話し方が変わります。話すペースがゆったりになり、声に力があります。それから、私の場合は地に足が着いていない方なのでヨガの後には地球にしっかりと根付いている感覚がありました。意識が上をフラフラしている状態からどっしりと下りてきている感じで、物事に動じないといった安定した感覚がありました。また、頭がすっきりするので、自分の考えが明確になり、普段ならば悩んでようやく決めることでもスパッと「こうだ」と直感と自信を持って平常心で導くことができました。

こうしたヨガや瞑想を、空気の澄み切った森の中で出来たなら、どんなに素晴らしいだろう・・・そんなことを想像しながら、今日も森の中の一軒家を夢見ている私です。

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2011年2月19日 (土)

使命を思い出す

最近読んだ本がとてもおもしろくて、一気に3冊読み終わってしまいました。その本は「アミ 小さな宇宙人」(著:エンリケ バリオス)です。その他にあと2冊あって、話しは続いています。文庫版もあります。この本は世界で11の国々で翻訳されているそうで(今現在ではもっと多くなっているかもしれません)、ずっと前からアマゾンで見ていて、読んでみたいなと思っていた本でした。ようやく時期がきたのか、急に読みたくなって本屋さんに駆け込みました。

物語はペドロと宇宙人アミが出会うところから始まります。アミは地球よりもレベルの高い星から来て、ペドロにたくさんの大事なことを教えて(思い出させて)いきます。宇宙の法則についても。ストーリーを通して楽しく、やさしく、人間の本当の姿について表現されていて、私のお気に入りの本に加わりました。お気に入りの本は「神との対話」「奇跡のコース」「星の王子様」「かもめのジョナサン」「サラとソロモン」と、ほとんどが精神世界の本ですが、どれもいまだに読み返します。

この本を読んだ後、私はとても幸せな気持ちになりました。最近はよくアセンションという言葉を精神世界では言われていますし、テレビでは2012年に世界は滅亡すると騒がれていたりします。地球は次の次元へ移行する時が近づいていて、その次元の上昇によって世界が生まれ変わるというものなのですが、私は世界がもっと幸せで愛に満ちたところになったらいいな、と思ってきました。アミを読んで、世界が愛に満たされるというのは夢物語ではなく、むしろそうしようと人類が思った瞬間にまさに今すぐにでも実現するのだと再確認するためのメッセージをもらえたように感じました。世界に対する希望がもっともっと輝きました。

そして、私の内側にも大きな変化がありました。私は今まで、何かをしたいとか何かをしなきゃとか、何のために生きているのかを考えてきました。そうしていつも焦って生きてきました。それから、小さい頃から「世界で活躍する」ということを言っていましたが、私は有名になりたいわけでもないし、何か特別な能力や技術があるわけでもありません。だから、世界で活躍といっても何をどうしたらよいのかわからなくて、おかしな話、小さい頃からのその確信によって一体自分はどう生きたらよいのかわからなくてもがき、いつも足りないと思って苦しんできたのです。いつもいつも何かに追われて生きてきました。でも、アミのこの本を読んで、私の使命についてより深く考えることができるようになったのです。何かをするのではなくて、楽しく幸せな姿で生きていることこそ私のすることなのだとようやく気づき認めることができるようになってきました。

そんな風な変化が起き始めた時に、私はある夢をみました。現実的なことを、私はよく夢の中で考える癖があって、今回も夢と現実の間をふわふわと彷徨っている時にみたものです。私は自分自身にききました。「私は何をしたい?今したいことは何?」「私のしたいことは・・・・・・・・・・・」あれ?おかしいな、本当に私のしたいことって何だろう?しいて言うならフラメンコかな。でも、それがなくなったからって嘆き悲しむこともないしな・・・何かしたいことがなかったら何もしないで終わってしまう人生になってしまうかもしれないから、それを恐れて私は今まで色々したいと思うことをやってきたのに。興味を内に向けて、本当にやりたいことにだけに集中させてこの人生を生きていこうと最近考え始めたからなのかな。どうしよう、何も思い浮かばないよ・・・・・・・・でも、私は生きている・・・・・・・・・・そんな夢でした。その夢を見てから未来のことを心配しても仕方なくて、今できることをしてあとは結果を待ち、将来がっかりするかもしれないからといって希望を抑え込んだり願いを小さくすることはやめて、あとはその時に思いっきり落ち込めばいいじゃんという考えを少しずつ日常生活でできるようになってきました。やっぱり、気づいても実際自分の生活の中で実践するのには時間がかかるな、と思いました。

なんだか、中身のあまりない記事になってしまいましたが、アミを読んだことによって、自分の使命について大切なことを思い出せた感じがあったのでどうしても書き残しておきたくなりました。

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2011年2月18日 (金)

思いのある場所

ここ毎日、とてもありがたいお言葉をいただいています。職場を変えることになり、そのことをいらっしゃる方々にお伝えすると「さびしくなるね~」「ここに来るのが楽しみだったんだよ」「ありがとうね」「たくさん話を聞いてくれて楽しかったよ」「元気になったよ」などなど、本当にたくさんのお言葉をいただいています。ありがとうございます。ほんの数ヶ月だったのに、こんなに温かくしていただいて、涙もろい私はつい泣きそうになってしまいます。

この数ヶ月もまた、濃かったな~と振り返ってみたり。最初はたくさんの人達と会う機会は何年振りでしょう、という感じだったのでどう接してどう話せばいいのかわからなくてモジモジしていましたし、他にも色んな問題もありました。そういう問題を解決しようとする度に、色んなことを学ばせてもらい、成長することができました。感謝する気持ちでいっぱいです。私はこの経験がなかったら、まだ気づけずにいたことが数多くありました。そして、たくさんの方々と会っても中庸の心で(おせっかいをし過ぎず、無関心にならずに)話すことが今の私には出来るということも確かめることができました。このような経験をさせてもらえたことはありがたいと感じます。

残りの期間も、この感謝を少しでもお返しできるように毎日を大切にしようと思います。

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